民家か。いや、民家ではないようだ。
そばんちという、丹波市内で俄に人気を博す蕎麦屋がある。
大将に言わせれば、その素朴さを生かしてこそ、ということだろう。
佇まいは、やはり民家である。もちろん「そばんち」の少し大きめの看板はある。
しかし、紹介してもらわなかったら出会っていなかったかもしれない。
逆に、紹介をしたくなる魅力をもつ蕎麦屋「そばんち」なのである。
そして、インターネットのグルメランキングでも、丹波市内で堂々の1位である。
何がそばんちの評価をそこまで引き上げているのか。2つある。
味と、大将である。
1.味
飲食的において、味が良いことは最大の武器ではないか。
立地でのみ商売を成り立たせるようなお店もあるかもしれないが、
味が際立てば、遠路はるばる足を運び、並んで待ち、品切れなら出直す。
それが、美味しいものを食べたいという人の、食への情熱だ。
そばんちは、その点において優れているといえる。
味が良い。そして、なぜ美味いかをきちんと大将が説明できる。
そして味を引き立たせるものは、その味を生み出すに至ったストーリーである。
どんな素材を使って、どんな加工を施し、どんな思いで調理して、目の前に運ばれたか。
味を引き立たせるストーリーも、十分に備わっている。
だから、人は蕎麦という素材を使ったフルコースを、そばんちに食べにくるのだ。
間違いなく蕎麦屋であり、佇まいは民家である。
それは、大将の計算どおりの裏切りだ。
2.大将
大将は、実に面白い人だ。
一言で言い表すならば、成長意欲のかたまり、だと伝えたい。
設備関連の技術者を経て、趣味で蕎麦屋を始めた。
蕎麦を打ち始めて、誰にも教わることもなく、蕎麦打ち暦が5年を過ぎようとしている。
5年である。
丹波で一番美味しいと、インターネットで評される、その大将の蕎麦打ちは
なんと5年で、今ここにある。そして、成長を続けている。
大将は、そういった実績を当たり前のように受け止めている。
常に技術研究に余念のない、成長意欲の高い技術者であり続けているのだ。
これまでは、設備という分野に注いだその情熱を、蕎麦に変えただけのこと。
こともなげに語る大将は、どんなに趣味に生きることが楽しいかを嬉しそうに語る。
本当に嬉しそうなので、聞いているこちらが嬉しくなるほどだ。
そして、いかにお客様を驚かせ、感動させ、リピーターを生み出すかを
いつも真剣に考えている。それでいて、とても楽しそうなのである。
60歳を過ぎてから、蕎麦打ちを始めて、5年ほどで丹波一番のお店。
それを作り上げた大将の、あまりにも無邪気で、計算されたお店作り。
またそれを嬉しそうに語る。
人生を楽しんでいる大人の手本である。
この嬉しそうな顔を見て、「楽しそうだな」「嬉しそうだな」「もっと頑張ろう」などと、
個々人がいろいろと感じたらいい。
大将の挑戦
大将は、毎日挑戦し、いつも目標に向かって進んでいる。
新しいメニュー、ストーリー作り、そばんちの活用、丹波そば街道作り、などだ。
蕎麦のフルコースを頂いている最中、大将が嬉しそうに聞いてくる。
「開発中のメニューがあるけど、ちょっと感想聞かせてくれるかい。」
食べると、旨いのである。旨くなかったら、開発中でも出さないだろう。
で、個々人もそこに自分なりの切り口で注文をつけてよい、むしろ歓迎される。
それを真摯に受け止め、新たなメニューを開発するマーケティングをしている。
それは、ストーリーも込みで、消費者に響くのかを確かめているのだ。
また蕎麦屋の二階がアトリエになっている。
丹波の芸術家たちが作り出した作品を、アトリエとして飾っているのだ。
文化的な丹波のまちづくりの担い手を応援する、また消費者も喜ぶ場として、
そばんちが蕎麦屋以外の活躍が出来ないかを常に模索しているのだ。
そして、大将にはお弟子さんがたくさんいる。
そのうち2人のお弟子さんが、既に丹波にお店を出した。
大将は、本気で丹波に蕎麦街道を作ろうとしている。
そばの町を作ろうとしている。
すべては仕事を終えてからの挑戦である。
仕事を終えたら何もなくなったなんて話は、どの国の話だったかと思うほどである。
もしもそんなことに迷っているなら、ここに師匠がいるから来るといい。
大将の挑戦は、今日も続き、今日も新たな成長を遂げている。
だから、そばんちは美味い。そして大将は面白い。