ブランディングに必要不可欠な要素
「わしは長い間、建具の請負仕事の価格交渉で失敗したり、苦い経験を味わったりした。小売商売の経験はないが、職人のモノ作りの考え方を小豆の値段にあてはめた。もしあの時、自分が妥協した値段で売ってしまったら、黒さや小豆の希少価値は薄れてブランド化はできなかっただろう」と柳田さんは言う。腹をくくったからこそ、腹の割れない小豆の固定相場をつくれたのだ。
柳田さんは黒さやのブランド化も強く意識して、「丹波黒さや大納言小豆」の名称で商標登録を申請した。また、黒さや小豆が京都御所献上されていた歴史に因み、2001年の愛子さまお誕生祝いに献上、さらに2006年、秋篠宮悠仁さまのお誕生祝いにも献上している。
近年、宮家への献上は難しくなっている。商品ブランドのPRに利用されるからだ。ところが柳田さんは、それが難しいことを十分承知の上で行動に移し、宮内庁を通じてようやく献上することができた。京都御所献上の歴史がかつてあったにしても、柳田さんの一途な行動がなかったら実現していなかったはずだ。黒さや小豆のブランド化は、柳田さんの考え方(信念)に基づく情熱とリーダーシップと行動力にあることが分る。
厳しい市場競争のなかではとかくマーケティング戦略が優先され、平均的で無難な商品開発しかできなかったりするが、「10人中9人に反対されたが押し通した結果うまくいった」という成功例も少なくない。黒さや小豆のブランディングについては、次の5つの特徴が挙げられる。
- 黒さや会を発足させて地域で取り組んだ強いリーダーシップ
- 300年という歴史ストーリの再生と情報発信
- 在来種の希少価値をいっそう高めた行動力(宮内庁への献上)
- 業者との最初の交渉で、高値の固定相場を押し通した
- 商品開発に取り組んだ夫人・明子さんの協力
ただ、いずれにしても、柳田さんの情熱があればこそであった。
黒さや小豆の波及効果
黒さや小豆は、高品質を守るために畑で完熟させてから収穫する。サヤが黒ずんできたら完熟と見て、一個一個採っていく。だから手間がかかり、収穫を始めてから採り終わるまで半月ほど要する。サヤから採った小豆も人の手で仕分ける。
現在、黒さや小豆の作付面積は約2ヘクタール、反(10アール)当たり収量は平均100kg、全体で2トンほどしか採れない。
「黒さやがこの限られた地域だけに育つのは土の性質だけではないように思う。たぶん三尾山のミネラル豊富な伏流水が大きく作用しているのだろう」と柳田さん。
試しにと市内各所の畑で栽培してみたところ、1年目はまずまずの黒さや小豆が収穫できた。しかし翌年、採れた種を同じ地区に播いてみると、いわゆる丹波大納言小豆の茶さや、白さやに変わったという。
「生産を増やすことには限度があるが、この在来種の希少価値を食文化として守らなければいけない」
柳田さんはそんな思いを強くした。
そして柳田さんは、建具師の技を活かし地元大工とともに小豆神社を建造して近くの神社に奉納した。さらに部屋の一部を模様替えして「あずき工房」をつくり、奥さんの明子さんが開発した小豆味噌、お菓子、餡などの商品を展示販売するようになった。
狭い地域での地道な活動だが、こうした食文化としての黒さやブランドの情報発信が、丹波大納言小豆全体のイメージアップにもなっている。この10年ほどの間、黒さや小豆の価格が高値で推移したことから、店頭の丹波大納言小豆も相場に大きく左右されない販売価格が設定されるようになった。たとえ黒さや小豆の生産量はわずかでも、いろいろな意味で、その直接・間接的な波及効果は非常に大きいのである。
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おはようございます。丹波への車中です。
一口に大納言小豆といっても、いろいろな歴史、逸話があるのですね。
流れるような文章を一気に読ませていただきました。
北近畿みらいの取り組みに、兵庫丹波の森協会としても注目し、
参画していきたいと願っています。
どうぞよろしくお願いいたします。
大納言でなくとも、丹波産小豆をいただいてから、北海道産の小豆である阪神百貨店の「ござそうろう」の小豆アンコを食べればいかに違うかがすぐ解ります。 丹波の小豆で赤飯が食べたい。 大納言なんて夢の夢ですが、、、